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業務日報(社員ブログ)

  • 2011年1月19日 情報


     

    今年最初のブログです。今月は講演会でお話しいただいた作家、
    五木寛之先生のお話からシリーズで書こうと思います。
    講演依頼の中で最近多いのがIT情報関係企業からだそうです。
    五木先生は原稿もいまだにコクヨの400字詰め原稿用紙に手書きで出版担当者に取りに来てもらう古いタイプのアナログ人間。しかし、そのIT関係者たちの言う「情報」の意味におおきなズレがあることをお話しいただきました。つまり、彼らの言うところの情報は「数字・統計などをさしていますが本来、情報の「情」は「こころ」を指すものであった。例えばあの日露戦争のときを例にすると、情報のランクが上から「松」「梅」「竹」で分けられていて、武器や兵士の数量の情報は、何と「竹」で兵士たちの士気、つまり「戦う心」の情報はトップシークレットだったのです。数字や統計上のデーターは参考にするがそれは決定的な判断材料にならず、最終的には人の「こころ」が重要なことであったことを語られました。ビジネスの世界も大切なことは、関係するすべての方たちの「こころ」を思い量ることが何よりも優先されるのです。

    OKADA
  • 2010年12月22日 一年を振り返って


     

    政治、経済、宗教の複雑で混沌とした世界。そして、新興国の経済発展は経済格差を生み近未来の世界がはっきりと見えています。そんなとき、ときどき私は自由(今も自由ですが)だった学生時代に何気なく口ずさんでいた歌を思い出します。

    ・「イムジン河」…祖国を分断された悲しさを自由に飛ぶ水鳥をみてその悲しさをうたったものです。発売自粛により「悲しくてやりきれない」をそのあとすぐに発売。
    ・「戦争を知らない子供たち」…北山 修 作詞の戦争を経験していな若者も「長髪」「若さ」だけで戦中派の人から否定されることに反抗して自分たちにも「平和」を築く力があることを歌ったもの。
    ・「Imagine」…解説はいりませんね。

    まだまだ沢山、口ずさんでいた曲はありますが分断された国のことは、いまも世界が心配するほどの事態になっています。戦争を知らない子供たちなど口ずさめば高校生の息子に「昭和」と冷やかされます。イマジンは、あのテロ以後は一時放送禁止になったと聞いています。
    まだまだ同様の歌は数多くありますがどこか悲哀と主張があり、その歌詞、メロディーには「何かを持っていたような気がします。(早稲田の斎藤君風に)
    その「何か」とは「自由」と「平和」は私たち一人一人の心の中に存在していること。そのメッセージをしっかりと投げていたのですね。北山修さんは「自衛隊の派遣」は戦後の人が隊員なのでその時点で「戦争を知らない子供たち」は消滅したと語っています。
    AKB、EXILEも生きる勇気や恋愛の感情は豊かになるから決して否定はしませんがモー娘のように忘れられてしまうだけでは悲しすぎます。
    世界が歌で変えられるかどうかは別としまして、少々大げさかもしれませんが中国の渡航も踏まえ、世界の中の日本をじっくりと考えて経営革新を進めてきたことが今年一年の実感です。

    OKADA
  • 2010年12月8日 同性愛発言について


     

    都知事の同性愛者を否定する発言。「どこか足りない気がする。」「マイノリティーでかわいそうな気がする。」最近のTVに多く出ていることにも「野放し状態」と苦言を投げてました。個人的な感想をずけずけと話してしまうことに私はデリカシーのなさを感じています。確かに最近は芸人に限らず、教育論者や経済学者、医学博士などTVでも放映されているとその影響力は大きいのかなと感じます。「日本男児たる者」は昭和で幕を下ろしたのですよ、石原さん。

    OKADA
  • 2010年12月3日 


     

    日本の議会品格を著しく貶めたとして民主、自民がお互いに主張している光景。こんな人たちに国を任せていたんでしょうか。そして2022年ワールドカップ開催地候補活動の結果。小倉会長が「初めからわかっていた。」と語るところに、負け惜しみと言い訳しか感じません。一方、小惑星探査機「はやぶさ」の快挙にかかわった中小企業の匠の大人たちはその目に「喜び・自信・謙虚」さが溢れていました。PS-Xの発表、シーダッシュサービス(緊急レンタルサービス)など私たちも現場に、社会に同じ目の輝きで立ち向かう気持ちでいっぱいです。

    OKADA
  • 2010年11月29日 龍馬伝の最終回


     

    昨日、龍馬伝が「おったえな!」でその生涯をあっけなく終えた。いままで薩摩、土佐を動かし、土佐そして幕府までも動かした人間も最後は余韻も残すことなくドラマが終了したことにポカーンとした何か納得いかないものを感じた人も少なくないでしょう。列強からの危機感を大きく持っていた龍馬にとって身辺の危険は十分考えられたにもかかわらず自分の危機管理には遅れていたわけです。残念でなりません。
    一方この現代にも関わらず「三世代の世襲」で世界に迷惑をかけている国には龍馬のような人物は出てこないのでしょうか。「上も下もない世界」を考える余裕もないのでしょうか。

    OKADA
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